天神講の由来



菅原道真

天神信仰

天神信仰という言葉を聞いたことがあるでしょうか。学問の神様として崇められた菅原道真公の神霊を信じ、仰ぎ見ることを「天神信仰」と呼びます。

菅原道真公

菅原道真(すがわらのみちざね)は、平安時代の承和12年(845年) に生まれ、 延喜3年(903年)に亡くなった、実在の人物。とても優れた学者であり、漢詩人、政治家としても活躍。小倉百人一首に選ばれるほどの歌人でもありました。

「このたびは ぬさも取りあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに」

若い頃は宇多天皇の忠臣として朝廷に仕え、醍醐天皇の時代では右大臣まで昇りつめました。しかし、ときの左大臣藤原時平に濡れ衣を着せられて失脚。「昌泰の変」と呼ばれる政変でした。道真公は太宰府長官(大宰権帥)として太宰府へと左遷され、二年後、失意のうちに亡くなりました。

この後、京都では、道真公を陥れたとされる藤原菅根が落雷によって死亡。「清涼殿落雷事件」として内裏を混乱させました。さらに地震、落雷や日照り、洪水などの自然災害をはじめ疫病の流行が次々に起こり、人々を不安にさせたのです。

都の貴族たちは、菅公の怨霊が雷神となって雷を落としたと、恐怖と畏怖の念にかられました。でも、一般市民や農民は農業に必要な雨と水をもたらす恵みの神さま(天神)と信じるようになりました。また、学問に秀で、子ども達を愛した菅公の人柄が広く知られるようになり、文学や書道、詩歌、芸能の神、子どもを守る慈悲の神として広く崇敬されるようになりました。







天神講のご神徳

天神様には学問以外にも庶民の暮らしを見守って下さる多くのご神徳があります。子どもから大人まで、男女を問わず篤い信仰を集めています。

  • 「農耕の神様」・・・天神さまは農業にとって欠かせない雨を降らせてくれる雷神さま。2月に行われる天神講は、雷神さまを敬い五穀豊穣を祈るお祭りでもあります。
  • 「至誠の神様」・・・左遷された後も帝への忠誠心を忘れず、後に冤罪を晴らすことができた道真公の功徳から、至誠の神様として崇敬されています。
  • 「学問の神様」・・・道真公は五歳で和歌を詠み、天才と呼ばれ、「文道の太祖」「風月の本主」と称賛されたことから、学問、書道、和歌の神様として崇められています。
  • 「芸能の神様」・・・天満宮の総本山である北野天満宮は出雲の阿国が初めて歌舞伎踊りを上演した場所。田楽、能、狂言なども多く上演されたことから、芸事の神様と言われるように。
  • 「厄除けの神様」・・・平安時代、北野天満宮が平安京を守る北西(乾)の守り神として創建されたことから、厄除け、災難除けにご利益があるとされています。

 

 

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