天神さまの総本山、北野天満宮



北野天満宮

日本全国に1万2千以上ある「天満宮」と「天神社」の総本山はどこか、知っていますか?

それは京都、上京区の北野天満宮です。菅原道真を祀る天神信仰の中心となる神社です。地元では「天神さん」「北野さん」と呼ばれて親しまれています。

天のエネルギーが満ちる場所

北野天満宮が創建されたのは平安時代の中期、天暦元年(947)のこと。菅原道真が亡くなってから44年後のことです。藤原氏によって社殿が造営され、代々の皇室の崇敬を受け、広く国民を守る霊験あらたかな神社として知られるようになりました。

でも、北野天満宮は道真公の遷座よりずっと前から、天のエネルギーが満ちる聖地として知られていました。天空をつかさどる天神様の神社として、天神信仰のはじまりを作ったのが北野天満宮なのです。







実は平安時代の御所は今の千本丸太町の辺りにありました。御所から見ると北野天満宮は「乾」(北西)の方角にあり、都を怨霊から守る重要な役割を果たしていました。

「三光」というのは日、月、星の三つを指します。日と月、星の運行が天皇と国家、国民の平和を左右するという考えを「三辰信仰」といい、ときの帝は三光に対して日夜深い祈りをささげていました。でも、北野天満宮の三光門には日と月の彫刻が刻まれているのに、星の彫刻がありません。どうしてかというと、帝が北西に向かってお祈りをされるとき、三光門の真上に北極星が輝いていたからなのです。天満宮の七不思議のひとつとして伝わっているお話しです。

芸事の神様

北野さんは、学業成就(合格祈願)の神社として全国的に有名ですが、それ以上に実は「芸事の神社」として芸の道を歩む方々に崇められてきたことをご存知でしょうか。

北野さんの東には華街として有名な上七軒があります。上七軒は京都の花街としては祇園などよりも古い歴史を持ち、室町時代に北野天満宮の建物を作るときに使った木材の残りで七軒のお茶屋を建てたのが始まりと言われています。一人前の芸妓さん、舞妓さんになるには、唄や踊り、三味線といった芸事を修練しなくてはいけません。年に一度の天神講の日には、上七軒のお茶屋さんの芸妓さん、舞妓さん、そしてお母さんと呼ばれるご主人まで揃って北野天満宮に参拝するのが習わしです。この日ばかりは本殿に上がり、芸道成就を祈ります。

天神市

北野天満宮では、毎月25日を「天神さんの日」として縁日が行われています。参道にはたくさんの露店が並び、特に骨董品やアンティークが豊富に揃うので、全国各地から、海外からもたくさんの観光客が訪れます。

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